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なぜ「宇治抹茶」は守れないのか?知的財産法の穴

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「法律上は問題ない」──この一言の重み

2025年5月、MBS毎日放送の取材に対して、中国の「宇治抹茶(上海)有限公司」のスタッフはこう答えた。「消費者をだましている認識はない。すべての手続きをちゃんと完了している」。(出典:MBS毎日放送 2025年5月1日

悔しいことに、この主張は完全に的外れとは言い切れない。「宇治抹茶」という名称は中国では商標登録されておらず、社名として使うこと自体は中国の法律上問題がないのだ。

京都の老舗・丸久小山園が裁判を起こし、2026年1月に大阪高裁で和解を勝ち取っても、中国国内で乱立する「宇治抹茶」企業群への直接的な法的効力は生まれない。なぜこんな事態になってしまったのか。その根本には、知的財産法が抱える構造的な「穴」がある。(出典:丸久小山園 公式お知らせ 2026年2月13日

穴①「宇治」は中国で”周知地名”ではない

まず前提として理解しておきたいのが、中国商標法第10条の規定だ。同条は「県またはそれ以上の行政区画の地名及び一般に知られた外国地名は商標にできない」と定めている。つまり、世界的に有名な外国の地名であれば、中国企業が勝手に商標登録することはできない。

問題は「宇治」がこの「一般に知られた外国地名(周知地名)」と認定されていない点だ。

2018年、中国の国家知識産権局(旧知財局)は日本の都道府県名と県庁所在地のすべてを「周知地名」として商標登録不可とした。しかし「宇治」は都道府県でも県庁所在地でもないため、この対象外となった。京都府はこの問題を重くみて、農林水産省・経済産業省に対して「『宇治』が周知地名として認められるよう中国国家知識産権局へ強く働きかけてほしい」と政策提案を行ったが、現時点でも「宇治」の周知地名認定は実現していない。(出典:京都府政策提案書 令和元年11月

この「認定の空白」が、中国企業にとっての最大の法的抜け穴になっている。

穴②「宇治」関連商標の乱立──263件の衝撃

事態はさらに深刻だ。中国商標の茶類(第30類)において、「宇治〇〇」などの形で登録・出願されている商標が、令和元年9月時点ですでに163件(全区分では約3,000件)にのぼっていた。(出典:京都府政策提案書 令和元年11月)その後も増え続け、関係者によれば「宇治」が付く商標登録は申請中も含めて約260件超にのぼるとされる。

具体的な事例をたどると問題の深さが分かる。2004年、中国の個人が「宇治」を商標登録した。2010年に日本の(株)福寿園への譲渡が認められたものの、2017年に中国企業が「3年不使用取消請求」を提出。中国への日本茶輸出が事実上できない状況にあったにもかかわらず、2019年に中国知財局は福寿園が3年間「宇治」商標を使用していないとして商標登録を取り消してしまった。(出典:京都府政策提案書 令和元年11月

「先に取った者勝ち」の商標制度の論理が、日本側の輸出規制という特殊事情と組み合わさり、本来の権利者が権利を失うという皮肉な結果を生んだのだ。

唯一の光明:「京都宇治」商標の無効取り消し

暗い話が続く中で、一つの成果も生まれた。2017年11月に中国企業が取得した商標「京都宇治」について、京都府茶協同組合が2019年11月に中国国家知識産権局へ無効取り消しを請求。

2021年1月下旬、これが認められたのだ。

組合は「今回の判断は非常に大きな成果だ。

今後、中国へ宇治茶を輸出しようとする際の懸念材料も一つなくせた」とコメントした。(出典:京都新聞 2021年3月23日

しかしこれはあくまで「京都宇治」という一つの商標についての勝利だ。

「宇治抹茶」「宇治茶」「宇治○○」という無数の類似商標が中国国内でいまだ乱立しており、一件一件を無効化していく作業は終わりが見えない。

穴③ GI制度の「国内完結」という限界

日本には2015年に創設された「地理的表示(GI)保護制度」がある。特定の産地と結びついた品質・伝統を持つ農林水産物の名称を、知的財産として国が保護する制度だ。「神戸牛」「夕張メロン」などがGI登録を受けている。宇治茶もGI登録を取得しており、国内では法的保護が受けられる。

しかし、GI制度には根本的な弱点がある。海外での効力は、相手国との相互認証協定がなければ発生しないのだ。農林水産省も「海外でも保護したい場合、GI相互保護の対象であれば保護される」としているが(出典:農林水産省 お茶ブランド保護資料)、中国との間にはそのような協定が結ばれていない。

対照的に、中国とEUは2021年3月1日に200品目のGIを相互保護する協定を発効させた。(出典:マークアイ 2021年8月24日)この協定により、EU産品の地名ブランドは中国国内で保護される。日本だけが取り残された形だ。抹茶タイムズも「宇治抹茶の国際的GI認定が本格化すれば市場構造は一変する」と指摘している。(出典:抹茶タイムズ 2025年12月10日

穴④ 個別企業に重くのしかかる「訴訟コスト」

仮に中国で不正使用を発見したとしても、対応には中国現地で民事訴訟を起こす必要がある。立命館大学法学部の宮脇正晴教授はこう警告する。

「民事訴訟とかを起こさなきゃいけないとかだと、中国まで行って訴えなければいけないことになる。日本側のコストを被害企業だけに負担させないとか、そういう方向の何かを考えることもありうるかなと」

──立命館大学法学部・宮脇正晴教授(出典:MBS毎日放送 2025年5月1日

現状では、中国で「宇治抹茶」を名乗る企業は老舗1社がTNCリサーチの調査で確認しただけでも5社に上る。(出典:TNCリサーチ&コンサルティング 2025年5月9日)これを一社ずつ訴訟で潰していくことは、中小規模の茶業者には現実的に不可能だ。被害を受けた企業が自社の費用で個別に戦うしかない現行の仕組みは、根本的に不公平だと言わざるを得ない。

何が必要か:個別戦から「国家戦略」へ

この問題を本質的に解決するためには、個別企業の努力だけでは限界がある。必要なのは次の3つの柱だ。

まず**「宇治」の中国での周知地名認定**だ。京都府が政府に要請しているとおり、「宇治」が中国商標法上の周知地名として認定されれば、中国企業による新たな「宇治○○」商標登録の道を根本的に塞ぐことができる。

次に日中間のGI相互認証協定の締結だ。

EU・中国間では2021年にすでに実現している。日本も国家レベルの交渉として、「宇治茶」を含む農林水産品の地理的表示を中国国内で法的に保護できる枠組みを築く必要がある。

そして監視・対応コストの社会化だ。現在は被害を受けた個別企業が自己負担で戦うしかないが、政府や業界団体が一元的な監視体制と費用負担の仕組みを構築することで、中小の茶業者も保護される環境を整えるべきだ。京都府も「世界各国での他国第三者による日本の地名等を使った商標出願の監視や既登録商標に対する取消等について、一元的な体制構築及び積極的な対応」を国に求めている。(出典:京都府政策提案書 令和元年11月

まとめ

「宇治抹茶」が守れない理由は、個別企業の努力不足でも、京都の茶業者の怠慢でもない。商標制度の国際的な非対称性、GI制度の国内完結という構造的限界、そして個別企業に転嫁されてきた過大な訴訟コスト、

これらが重なって生まれた「制度の穴」が根本原因だ。

丸久小山園の小山社長が「本当に悔しい」と涙をのんだ言葉の裏には、何百年もの職人技と伝統を守ってきた誇りがある。その誇りに法律が追いついていないというのが、2026年現在の日本の現実だ。消費者として本物を選ぶことも大切だが、同時にこの問題を「法律と国家戦略の問題」として社会全体で議論していく必要がある。

参考文献・引用元一覧

#媒体記事タイトル公開日
1MBS毎日放送中国産なのに宇治抹茶?商品名も同じ”模倣品”に京都の老舗企業が怒り2025年5月1日
2丸久小山園(公式)和解による訴訟の解決に関するお知らせ2026年2月13日
3京都府中国における「宇治茶」関連の商標登録問題への対応強化等について令和元年11月
4京都新聞中国企業の「京都宇治」商標、無効取り消しに2021年3月23日
5TNCリサーチ&コンサルティング宇治抹茶は誰のもの?中国産の宇治抹茶に日本の老舗が困惑2025年5月9日
6農林水産省自社ブランド名、産地名を守るには
7抹茶タイムズ抹茶は日本の専売特許ではなくなった2025年12月10日
8マークアイ中国・EU:地理的表示(GI)保護協定が発効2021年8月24日

⚠️ 本記事は公開情報に基づいた情報提供を目的としています。法的判断については専門家へご相談ください。

「宇治抹茶」の木製看板にひび割れが入り、商標・GI制度・訴訟コスト・法的空白を示す4つの警告アイコンが周囲に浮かぶ知的財産問題を表したイラスト