甲子園に伝説を刻み、プロのマウンドで汗を流し、茶の間を笑顔にしてきた。元中日ドラゴンズ投手でタレントの板東英二さんが、2026年7月22日、慢性心不全のため86歳で逝去した。葬儀は家族のみで執り行われ、7月28日に公式サイトで公表された。
訃報概要
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 氏名 | 板東英二(ばんどう えいじ) |
| 生年月日 | 1940年4月5日(旧満州国生まれ) |
| 逝去日 | 2026年7月22日 |
| 死因 | 慢性心不全 |
| 享年 | 86歳 |
| 葬儀 | 家族葬(非公開) |
| 発表 | 2026年7月28日、公式サイトにて |
甲子園——83奪三振という”不滅の記録”
1958年、徳島県立徳島商業高校のエースとして夏の甲子園に出場。6試合を一人で投げ抜き、記録した大会通算83奪三振は現在も破られていない。準々決勝・魚津高校戦は延長18回0対0の引き分けとなり、再試合ルール初適用という歴史的な一幕も演じた。決勝では惜しくも敗れたが、「怪物投手」の称号は永遠に残る。
プロ野球選手・中日ドラゴンズ時代
1959年に中日ドラゴンズへ入団。鳴り物入りのルーキーは1年目から4勝を挙げ、チームに貢献し続けた。肘の故障に悩まされながらも11年間現役を貫いた。
通算成績:435登板・77勝65敗・防御率2.89・奪三振748
引退後は中部日本放送(CBC)で野球解説者・タレントとして転身し、お茶の間へと舞台を移した。
タレント・俳優として駆け抜けた昭和・平成
明るいキャラクターと独特の語り口で、バラエティ・CM・俳優と幅広く活躍。1989年公開の映画『あ・うん』では日本アカデミー賞助演男優賞とブルーリボン賞助演男優賞をダブル受賞し、俳優としての実力も証明した。
代表的な出演番組・映画(抜粋)は以下のとおり。
- テレビ:『世界ふしぎ発見!』など多数のバラエティ
- 映画:『あ・うん』(1989)/『まあだだよ』(1993)/『鉄道員』(1999)
- CMキャラクター:ゆで卵のイメージでおなじみのトヨタ・大丸百貨店など
晩年——消えた理由と最後の記録
2012〜2013年、個人事務所による約7,500万円の申告漏れが名古屋国税局に指摘され、出演中のレギュラー番組をすべて降板。その後は表舞台から姿を消し、2020年4月14日放送の『相席食堂』(ABCテレビ)が最後の地上波出演となった。
2026年4月には高須克弥院長がInstagramに2ショットを投稿し「元気な86歳」として話題になったが、それから約3か月後の訃報となった。
家族
妻・洋子さんは安川財閥ゆかりの令嬢で、2018年夏に先立って逝去。2人の娘との関係は晩年に疎遠となり、長女は取材に「もう関係ない」とコメントしていたことも報じられていた。
SNS・世間の声(抜粋)
「板東英二さん亡くなったんだ…昭和のスターがまた一人いなくなってしまった」
「甲子園83奪三振、今も破られていないのが本当にすごい」
「ゆで卵のCM、『世界ふしぎ発見!』…小さい頃から見てた。寂しいな」
「テレビから消えてから心配してたけど、お疲れ様でした」
板東英二さんを偲ぶ関連作品・書籍
昭和の野球と板東さんの時代を振り返るなら以下の作品もあわせてどうぞ。
まとめ——三つの顔を持った昭和の異才
甲子園の怪物、プロ野球のエース、国民的タレント——板東英二という人物は、ひとつの時代を三役で生き切った。83奪三振の記録は塗り替えられることなく、今も甲子園の空に刻まれている。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

