はじめに:今日という日に思うこと
今日、2026年3月13日。
俺はまた、この日付が来るたびに同じことを考える。
青函トンネルが開業したのは1988年。あれからもう38年が経つ。北海道と本州を繋ぐ全長53.85キロの海底トンネル。今じゃ新幹線がごうごうと走り、乗客はスマホをいじりながら津軽海峡の地下を通り抜けていく。
でも俺は思う。あのトンネルの壁の向こうに、何人分の汗と血と執念が染み込んでいるかを。
24年間。人間にしか積めない「時間」がある
青函トンネルの建設は、調査斜坑の着工から開業まで24年間かかった。
AIがどれだけ高性能になったって、24年分の「現場の記憶」は積めない。機械学習で図面は描ける。シミュレーションで地質を予測することもできる。でも、極寒の地下に潜って、岩盤の割れ目から染み出す海水と格闘しながら、「今日も生きて帰れた」と胸をなでおろす。
そういう経験は、AIには永遠に積めない。
工事には最大で2,000人もの作業員が従事した。北海道・福島町から漁師を辞めてトンネルマンになった者も多く、地元住民約400人が作業員として働いた時期もあったという。「村全体が活気づいた」と語り継がれるほど、地域ごとトンネルに人生を賭けた人たちがいた。
34人の魂が、あの壁に眠っている
現場の話をするとき、俺は数字を軽く扱いたくない。
青函トンネルの工事では、34名の方が殉職された。
大規模な出水事故。崩落。地下のプレッシャーは想像を絶するものがある。NHKのプロジェクトXで取り上げられた回のタイトルは「友の死を越えて〜青函トンネル24年の大工事〜」。このタイトルだけで、現場がどれほどのものだったか伝わってくるだろう。
仲間が死んでも、工事は続く。その悲しみを「胸に秘めて」前人未到の困難に立ち向かう。
これが職人の世界だ。感傷に浸っている暇はない。でも、忘れてもいけない。俺たちが今も現場に立てるのは、そういう人たちの上に成り立っている。
竜飛(青森側)には殉職者34名の慰霊碑が建立されている。吉岡(北海道側)には建設記念碑がある。年に一度、この日くらいはその名前を思い出してほしい。
3本のトンネルを掘って、ようやく1本が通る
現場を知らない人はこう思うかもしれない。「トンネルって、ただ穴を掘るだけでしょ?」
違う。青函トンネルは実際には3本のトンネルを掘っている。
まず地質調査のための「先進導坑」、次に作業員の通路や機材置き場となる「作業坑」、そして最後に列車が走る「本坑」。つまり、メインのトンネルを通すために、その前に2本の「先行トンネル」が必要だったわけだ。地下の地質がどう変化するか、海水がどの方向から来るか、実際に掘りながら確かめていくしかない部分が山ほどある。
これが現場仕事の本質だ。どんなに精密な図面があっても、地面の中は「開けてみないとわからない」ことだらけ。AIが事前にどれだけ計算しようと、最後に判断するのは、ヘルメットをかぶって地下に潜る人間でなければならない。
若い職人へ:「泥臭い」は最高の褒め言葉だ
俺は50代で、まだ現場に出ている。
正直、最近の若い子を見てると「すごいな」と思う場面も多い。スマートフォンで施工管理アプリを使いこなして、タブレットで図面を確認して。俺の若い頃には想像もできなかったツールを当たり前のように使っている。
でも一方で、「現場の泥臭さ」を嫌がる子も増えてきた。汚れるのが嫌、きつい体勢が嫌、天気が悪いと気持ちが折れる——気持ちはわかる。でも聞いてほしい。
青函トンネルを掘った職人たちは、もっと泥臭かった。
海底240メートルの地下で、岩盤から海水が吹き出す中でも掘り続けた。仲間を失っても現場を離れなかった。その「泥臭い執念」があったからこそ、今の北海道がある。俺たちが新幹線で移動できるのも、あの人たちのおかげだ。
AIは確かに賢くなっている。設計補助もできるし、異常検知もできる。でも「現場で汗をかく職人」の価値は、AIが進化すればするほど、むしろ希少で尊いものになっていく。
泥臭くていい。きつくていい。それが本物の仕事だ。
おわりに:トンネルの向こうに何を見るか
3月13日。今日も北海道新幹線はあのトンネルを走っている。
乗客の多くはその地下に何が染み込んでいるか、知らないまま通り過ぎていく。それでいい。安全に快適に移動できることが、職人たちの「勝利」なんだから。
でも俺たち現場の人間だけは、覚えていよう。
名前も残らない34人の職人が、北海道と本州の間の海底に眠っていることを。24年間、地下で格闘し続けたトンネルマンたちの執念が、今の日本のインフラを支えていることを。
AIには絶対に掘れない。あれは、人間にしか掘れないトンネルだった。

